ホテル ニュー ジャパン 火災。 ホテルニュージャパン火災事件第一審判決(業務上過失致死傷被告事件) 昭和62年05月20日 刑事事件判例 東京地方裁判所

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スポンサードリンク また、社員からの報告をうけ高級家具のみ運び出すよう指示したり、消防活動中の退院が火傷を負ったことを賄賂をおくろうとしたなどの行動もわかっています。 起き上がると煙が天井の辺りに漂っている……「火事だ!」と気づき、慌てて妻を起こし、逃げようとドアを開けると、廊下から大量の黒煙が流れ込んできました。 一 消防計画 ホテル・ニュージャパンでは、昭和38年4月に消防計画書を作成して消防当局に提出し、内部的には23条からなる防火管理規程において、防火管理組織、自衛消防組織、消防用設備点検、防火教育、消防訓練等の事項が定められており、昭和48年一部変更された以後、本件当時まで変更されていなかった。 3 消防計画の作成、消防訓練の実施等 被告人Bの前掲検察官に対する供述調書(乙31)、K 1、I 1の検察官に対する供述調書各2通(750、751、756、757)等によれば、次の各事実が認められる。 一方、白木屋の社長は「どのような手段で株を集めたのかは知らないが、どこの馬の骨かわからん者を迎え入れることは絶対にできない。

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死者33名史上最悪の「人災」ホテルニュージャパン火災を振り返る(週刊現代)

その間、昭和54年5月ころから、Y 1を中心として、消防用設備等をも含めた同ホテルの後記第三、四、1、 一 、 3 の大改装計画が検討され、同年9月に総額約168億円の概算見積りが出されたが、その後右計画は進展せず、また、昭和55年1月ころから、Y消火器販売商事株式会社に遡及工事の見積りを依頼し、同年7月ころ全体の見積書が提出されたものの、これに基づく工事の発注は行われなかった。 タバコの不始末がなぜ巨大ホテルを廃業に追い込むほどの火災となったのか? その原因としてあげられるのが、 ・消防当局の指導を受けていたのに、スプリンクラーを設備していなかった ・火災報知機が故障していて非常ベルが鳴らなかった ・館内放送も故障&使い方を間違えるなどで、客や従業員に知らせることができなかった ・従業員が少なかった ・従業員が消火活動の基本的な訓練を受けておらず、消火器や消火栓の使い方を知らなかった ・客室内・客室間の防火環境が最悪(内装が可燃材、仕切りが木製) ・防火扉が閉まらなかった といったもので、大火災になるのは当然でした。 )で、厚さ約4センチメートル、高さ約2メートル、幅約0. 3 廊下等の区画状況 前掲検証調書(292、307、316)及び司法警察員作成の昭和57年9月10日付検証調書 299 等によれば、廊下、ホールの天井裏には、ほぼ2、3室に1か所の割合でコンクリート製横梁がもうけられ、これをくり抜いて空調等の配管が通っており、廊下天井裏は右横梁によってほぼ仕切られた形となっていたが、前記のとおり、この梁の下面に角材が組まれ、その下側に石膏ボードが張られていたため、右角材の周囲には高さ数センチメートルの空隙ができていた。 そして、横井英樹社長と叶姉妹の関係だが、ウワサによると姉・叶恭子の方と愛人関係を結んでいたとか。 その額およそ100億円に上るらしいが、あくまでもウワサである。

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その際の炎が約4分後に1013、1015号両室のドアをそれぞれ燃え抜き、両室にフラッシュオーバーを起こさせ、1011、1013、1015号各室の窓から激しく炎が噴出する一方、1010号室は、その給気口となって南ホール、南棟各廊下に外気を供給し、その延焼を拡大させた。 右各立入検査の際などに遡及工事の促進を指導していたほか、同ホテルに赴き、あるいは消防署に出頭を求めるなどして、ホテル側に対し、昭和54年7月以降、毎月のように遡及工事の具体的な施行方法や工事の早期実施、促進を指導し、特に、昭和56年に入ってからは、同年9月に後記命令書を交付するまでの間だけでも、十数回同様の指導を繰り返し、被告人Bらに遡及工事の促進方を督励していた。 立ち入り禁止の立て札と有刺鉄線によって周囲から完全に遮断された。 3 工事期間中における防火管理をより一層充実強化するため、新たな消防計画を作成し届出るとともに、自衛消防隊員及び全従業員に対する消防教育訓練等を実施する。 まとめ ・ホテルニュージャパン火災事件では防火設備の不備や避難誘導の不徹底で被害が拡大した ・深夜の災害は気が付く事が困難な為、防災施設の整備だけでなく防災訓練を徹底する必要がある。 ホテルに着いたら「くつろぎたい」と思いますが、 先ずは「非常口と避難経路の確認」が大切ですね。 その際、付近の廊下に出てきた937号室宿泊客T 9等に避難するように声をかけ、932号室前の消火栓のところにF 4がいるのを見かけたが、声もかけずに、フロントのPと仮眠中のO 5に火災を知らせようと考えて、中央ホールのエレベーターで1階へ降りてしまった。

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ホテルニュージャパン火災の原因と真相について。その後と跡地はどうなった?

二 宿泊客の避難所要時間 9、10階各室の宿泊客等が各室から廊下等を通って最寄りの非常階段まで到達するのに要する時間は、最大限で20秒もあれば十分であるが、就寝中の者が、大半であるため、覚せい、火災発生覚知に要する時間や右覚知後身支度して非常階段に至るまでの時間を総計すると、ドア叩きによる火事ぶれ、非常放送及び誘導が適切になされた場合には、覚せいに要する時間を含めて、約2分強で3分を超えることはなく、右の情報伝達の仕方が不十分な場合でも約3分程度あれば足り、また、火事触れや非常放送等を欠き、自ら異常覚知した場合には、右覚知してから非常階段に到達するまで3、4分ぐらいを要するものと認められる。 また、台湾人の遺族を慰霊のため毎年日本に招待していたという話もあります。 その頃になると、938号室から漂ってくる煙の量も増え、その奥の方はよく見えないようになってきたうえ、F 4の姿も見当たらず、火災に際しての役割分担、対応措置等の指示、訓練も受けていなかったこともあって、1人で対応するのに不安を覚え、火事ぶれもせず、防火戸については存在すら知らなかったため、閉鎖することなど思いも及ばず、とにかく警備室に戻って他の警備員とともに対応しようと考え、9階東ホールエレベーターで8階に降り、8階からは非常階段を経由して、3時27分ころ、警備室へ戻った。 ホテルニュージャパン火災は、1982年(昭和57年)2月8日深夜3時すぎに発生し、33人の死者と34人の負傷者を出した。 亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り致します。 刑事裁判の記録によれば「社長の横井英樹は消防当局より『当時のホテルニュージャパンは建物の老朽化が著しかったため、改正消防法に適合させるにはスプリンクラーや防火扉などの新設のみならず、館内の電気設備や給排水設備の全面改修も必要である』旨を知らされていた。

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ホテルニュージャパン火災の原因と真相について。その後と跡地はどうなった?

3 再着火の状況 右炎は、3時19ないし20分ころ(煙発見時刻の約4分後)には、ほぼ天井をなめる程度にまで発達していたが、後記H 10の消火器噴射により、ベッド表層ではいったん火炎が消失したものの、ベッド内部に火が残っていたため、約1分後(3時20ないし21分ころ)には再燃し、壁面、天井等に燃え広がり、後記のように、同室のドアが開放されたままとなっていたため、廊下からの給気により火勢が拡大して、3時24ないし26分ころ(煙発見時刻から約9、10分後)には、同室及びその前面廊下でフラッシュオーバー(火災の発生に伴い発生した未燃ガスを含む熱気層が一定空間に滞留し、その熱気層に炎が入り、十分な空気の補給と相まって爆発的に燃え上がる現象。 9秒東経139... 『ホテルニュージャパン』というものをご存じでしょうか。 また、8階以下の各階の中央ホールの防火戸も、同様に調整不良やじゅうたん、天井材との接触等で、正常に閉鎖しないものが多数あった。 また、10階においても、前記のとおり、9階南棟への延焼が阻止されるため、9階から10階への主要な延焼経路である907号室から1007号室へのパイプシャフトスペースを通じての延焼が防止され、あるいは少なくとも大幅に遅れるため、西棟の935号室から1035号室へのパイプシャフトスペースを通じた延焼が主たるものとなり、延焼時間は大幅に遅れ、さらに、10階の防火戸も閉鎖するため、その西棟から東棟、南棟への延焼は防止され、あるいは少なくとも大幅に遅れるため、10階の宿泊客の避難可能時間はより長くなり、全員の避難が一層可能かつ容易になったものと認められる。 第二 ホテル・ニュージャパンの建物の概要 一 建物の位置、周辺の状況等 司法警察員作成の昭和57年3月6日付実況見分調書(281)等によれば、ホテル・ニュージャパン(以下、本件建物またはホテル建物ともいう。 その後、病室で、フラッシュオーバーの中、助けた男性が亡くなったことを知る。 開かないドア・屋上から救出 到着から10分後、9階に辿り着いた隊員たち。

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ホテルニュージャパン火災事件第一審判決(業務上過失致死傷被告事件) 昭和62年05月20日 刑事事件判例 東京地方裁判所

従業員らは、火災発生時にもしも小火程度で収まって大事に至らなかった場合は「無意味な騒ぎを起こした」と横井から叱責されるのを恐れ、非常事態においても社長の顔色を伺うような雰囲気に陥っていた。 また、アパート側駐車場の料金徴収を図るため、同年9月からは、アパート側駐車場管理のために、午後8時まで1名増員もしたが、結局、実質的な館内の巡回はほとんど行われず、警備員の中には館内の構造等についてすら熟知していない者がおり、前記自動火災報知設備の受信機の階別警報電鍵操作等の説明も十分にはなされていない状況であった。 )に位置し、通称S通り(幅員約28メートル)に面し、裏手は東京都立H高等学校に、北西側は幅員約6メートルの道路を隔ててSグランドビル(9階建)、M大使館等に、南側は元R(3階建)に、南東側は幅員約9. 1 Fホテルについては、改正消防法による遡及改修工事の期限は昭和54年3月末であり、所轄のT地区消防本部から昭和54年4月以降再三にわたり勧告書、召喚状、警告書等の交付を受けるなど遡及工事(スプリンクラー設備設置、一部代替防火区画)の早期着工、促進等をたびたび指導されながら、右遡及工事に全く着工しなかったのみならず、既設の1,500平方メートル区画等も不完全なうえ、消火器、誘導灯、自動火災報知設備等にも不備があり、その点検結果報告すらなされていないという状況であった。 また、客室出入口上方の壁面と天井(石膏ボード)とは密着しておらず、クロスで覆われているだけであったことが認められる。 昭和後期に起こった都心でのホテル火災 ホテルニュージャパン火災は 昭和57年2月に起きた大きな被害を出した火災事故です。

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