国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 【ことばをめぐる】(020322)国境,川端康成,雪国,山口幸洋

「長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。」という一節がありますが、この表現がよくクローズアップされるのは一体何故なのでしょうか? 前後の文脈を知らないでそのまんまの意味で受け止めれば、「だからどうしたのだ?」という感想で終わってしまいます。

東京と雪国との間は切れていて、その間にかかわりはありません。 『日本国語大辞典』を見ると、森鴎外「渋江抽斎」から「若し丹後、南部等の生のものが紛れ入ってゐるなら、厳重に取り糺(ただ)して国境( コクキャウ)の外に逐へと云ふのである」という例が引いてあります。 『~が』『~に』が無いとね」というでしょう。 あたり一面雪景色なんてのは見りゃあわかるだろ。 最初に汽車の中で見かけた葉子も温泉地に住んでいて駒子とは浅からぬ仲である。

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単語とは

1970年(昭和45年)2月、5月 - 6月• そんなことを思うと、ますます落ち込んでしまいました。 「川端康成さんのおもいで」(ソノシート付月刊誌「」第150号、1972年5月号)• Out of these cookies, the cookies that are categorized as necessary are stored on your browser as they are essential for the working of basic functionalities of the website. 病気ののために芸者になったらしい。 75-156)• 信号所に汽車が止まった。 文法上の問題ではなく、表現法上の問題なのです。 信号所に汽車が止まった。 なんかここで「夜のした」から抜け出したら破れてしまいそうな心情みたいなものが表現されてる気がして、タイトルと細かな表現が呼応しあってる感じがして、非常に感動した、という話です。 そこで英訳には、The trainを主語としました。

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国境の長いトンネルを抜けると雪国であった・・・

これが『雪国』の冒頭だと思う。 出演:、、、、ほか。 , pp. 今回、改めて、この一文を読んで、独断で、読者7割、主人公3割、位に 感じました。 「駅長さあん」だって。 まだ見習いだった駒子が、酒に酔って島村の部屋へやって来て一夜を共にしたのです。 島村は、駒子が自分の犠牲か刑罰を抱いているように見えたのでした。 「一人前」など食事の場で当たり前になっている日本の文化も知った。

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川端康成『雪国』の冒頭を考察する 【あらかじめ欠落した主語を空想していく】

雪国をめざして 十二月の初め、島村は雪国に向かって汽車に乗っていました。 高半の人いわく、パワースポットになっているとか。 , pp. それならば、冒頭文の主語も「島村」からの視点によるものが当てはまるのではないかと考えた。 ) そのあたりの筆者の独創性のなさは御了承いただきたい。 また、子供の頃は鳥居のてっぺんまで雪が積もったそうで、てっぺんに物が置けたそうです。

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川端康成『雪国』の冒頭を考察する 【あらかじめ欠落した主語を空想していく】

皆さま、小説雪国巡りを楽しんで頂けると幸いでございます。 大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の作家。 国境(こっきょう)と読んでいるでしょうね、みんな」と発言、武田が「いや、でもあれは国境(くにざかい)のほうが……読む方も多いと思います」と応じ、川端は「そうですかしら」とのみ返している。 , pp. 129-131• 326-397)• 革装幀。 忙しいある晩、駒子は葉子に伝言を持って来させた。

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雪国の世界(ウェブの文章編)

しかし、廃藩置県を経た近代日本では「くにざかい」も消滅しているはずで、「くにざかいの長いトンネル」も、「コッキョウの長いトンネル」と同じぐらい変であるともいえます。 東京が日常の世界だとすると、雪国はいわば異世界であるわけです。 カバー題字:。 原稿復刻版『雪国抄』(日本現代文学館、1947年12月1日)• 「夜がもう少しで破れる」ってことは、「もうすぐ夜が明ける」ってことだと思うんだけど、「夜が明ける」というと希望を表す慣用的な表現になってしまう。 すなわち、どちらも「わたしが」という「主語」(または「主格補語」)を必要とする場合があることは同様なのです。 Seidensticker. 「谷底」とか「人生のどん底」とか「底辺youtuber」とか、単純に位置的に低い所、階層の低さを指すこともありますが、「夜の底」という表現にそんな意図があるでしょうか。 「夜の底が白くなった。

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